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成功の定義
2020/7/07 12:01
 
成功ってなんでしょう。
 
功を成すんだよ!字見りゃわかんだろ!って、そんな簡単な言葉じゃないような気がします。
 
 
 
はたから見たら成功者と呼ばれるような人は、イコール幸せなのかな、とか考えちゃう。
 
少し前の私は、評価されること・努力し続けられることが幸せなのではないかと思っていました。
会社なら役職がつくとか。学校なら良い成績を取るとか。目に見えて「あの人すごい!」って言われるのってやっぱいいな〜と。
 
しかし最近は、果たしてそれだけなのかなと思うようになりました。
 
 
 
ストイックに、良い状態をキープし続けるのは大変なことです。
周りの人に悩みとか話したいけれど、嫌味と受け取られてしまうかもしれないから自分一人で抱えちゃう。
 
顔に出したりしないから、周りは自分を「涼しい顔してなんでもできちゃうすごい人」だと評価しているっぽい。
 
あるいは、周りは「あの人すごい」と思っていても、自分の中ではまだ目標にたどり着いていなくて、「認識がズレている」ということもありそうです。
 
 
 
もちろん、いわゆる成功することで手に入るものは多いでしょう。
地位・名声。お金。やりたいことができるようになる。人が寄ってくる。自分に自信がつく。
 
自己実現が生きがいの人にとって、これほど楽しい生き方はないかもしれません。
 
プレッシャーが少々ある方が、緊張感が常に保てて良いパフォーマンスができるというのも大いにうなずけます。
 
 
 
じゃあ、そうでない生き方は?
 
なんかもっとビッグになる予定だったけれど、想定してた未来とちょっと違ったな。
 
でも、これはこれでいいんじゃないかって思えるのって幸せそうじゃないですか?
 
 
 
自分の中の満足度が大事なのかな。
 
今の自分が、好きかどうか、とまでは問いません。
悪くないなって思えるかどうか。
 
言葉を選ばずに言うと、「あいつ、落ちたな」って周りから思われようが、自分が納得するならそれでいいんじゃないかな。
思っていたのと違ったけれど、今の人生も悪くないよっていう大人って多いんじゃないかな。
 
一方で、そう思われることが嫌だなという他者評価に捉われて、それによって自分の価値を決めちゃうのって少し疲れてしまいそう。
 
常に何かに追われるように生きるのって、体力がある人にとっては苦ではないだろうけれど、みんながみんな走るのが得意ではありません。



そう思ったから、私ね、
誰かに認めてもらうためでなく、自分のために頑張ることにしてみたんです。

そうしたら、人って頑張れないものですね。笑

誰かに認めてもらうというのは、それだけエネルギーが要ります。その思いが自分を高みに連れて行ってくれるみたい。



人は、誰かのためにって思う方が頑張れる生き物だというのは聞いたことがあります。

目の前の人のために、大切な人のために頑張る。
これは一つ、幸せな日々が送れそうな言葉。

自分のためにって思えるようになるには、大切な誰かと同じくらい自分を大切に思う必要があるみたいです。
それはちょっとハードルが高いかな〜。そこまで思えたら、もう幸せ者です。
 
 
 
以上、自分と関わるすべての人のために頑張るのは難しいって話でした…?
 
えっ、論点ずれてない?
成功ってなんだって話が、幸せってなんだって話にすり替わってない?
 
って書きながら思いました。笑
 
一旦整理しますね。
うん。そうか、こういうことかな。
 
 
 
大切な人(自分を含む)のために努力できたら幸せで、
 
その努力の先に、いわゆる成功が掴めたらそれは素晴らしいことだけれども、
なんというか、努力の過程にも幸せって転がっていると言いますか。
 
自分のことを結果だけ見て評価するのは時に苦しいこともあるよ、みたいな感じかな。
 
 
 
悩みも似た性質があると思っていて。
 
大切な人(自分を含む)のために悩むのは、苦しいけれど、大切だからこそ湧いてくるもどかしい感情で、それと向き合うのは意味があることだと思うけれど、
 
そうでない悩みに関しては一度精査する必要があるのかもしれません。
 
『自分、なんで頑張ってるのかな』と思うタイミングがあったら、その『なんで』を突き止めることで何か見えてくるのではないでしょうか。
 
 
 

 
 
私、文章をメタ的な書き方をするくせがあるようです。
 
今日カタカナ多いですね。伝わる前提でカタカナを羅列するのはあまり好きではありません。えっ、何言ってるの?ってなります。
 
「ストイックに、良い状態をキープし続ける」は
「克己的に、良い状態を保ち続ける」と書く方が日本人らしいのかな。こっきてき、と読むそうですよ。
 
 
 
メタ的な。メタ発言、みたいな使われ方をしますね。
メタ認知というやつです。自分のことをもうひとりの自分が観察している。話している。書いている。
 
ああ、メタのゲシュタルト崩壊…
 
 
 
あら、私ったら、またカタカナ使ってます。
わざとじゃないんですよ。
 
こういう見方を繰り返すから、自分がどういう人間かわからなくなるのです。
 
 
中元 日芽香